人生が変わらない理由「変えたくないと思っているのは私だった」

うれしい変化〈内面編〉

前回の記事で「知らないうちに変わってる!」って驚いて喜んでたんですけど、同時に「今までなんで人生を変えられなかったのか」という事もわかっちゃったんで、そのことを書きます!

では、結論から参ります。

これからの人生を変えたい!と思っているけど、変えないように尽力していたのは私でした、まる。

えー、まじで。

前回の記事で力説いたしましたが「いつも通り」を心掛けることに、何の疑問も感じていなかったんです。むしろ率先してましたね。

なぜかと言うと「いつもと違うことをして何かが起きたら大変!」という危機管理的な考えが、私のほとんどを形成していましたので。

ここです。ここ。

疑問すら感じず、むしろ良いこととして率先していた。それが「変えたいのに変わらない毎日」という矛盾を生み出していることに気づいたんです!

だからハムスターな毎日だったんですわ。あの回し車をくるくる、クルクル走ってはる、アレですわ。

変わらないように、びちーっとレールを敷いて。そのレールを「変わりたい、変わりたい」って思いながらひた走りに走るんですから、変わる筈がない。むしろ変わったらそれ、ノーベル賞級じゃない?

なるほどー。
なにこれ、救いようがなく哀れみだけが残る話?

ちゃいますやん。
捨てる神あれば拾う神ありって言いますやん。

そう。日本伝統式レイキはこんな私を見捨てなかった。
またその救出ぶりが見事である。
と、言いますのも。

矛盾に気がつかなかったら、そもそも直しようが無いですけど、気づいたからといって直せるモンでもないですよね。え? 私だけ? 

駄菓子菓子。この二重苦に気づいていなかったわたくしめにも関わらず、行動が変わり、修正されていたのだ。粛々と、そこはかとなく自動的に。

という日本伝統式レイキの「夜中にいろいろ直してくれる靴屋の小人さん」的な事実を、今ここに記したい。

外食ランチと郵便局の変化は、私にとって異例中の異例だったのでわかりやすかったな。だから気づくきっかけになった。

すると、パラパラ漫画を逆さにめくっていくように、それまでの自分が映し出される。

あれ? そう言えば小さい変化がいっぱいあったよね。
仕事帰りに寄らないお店に寄ってみたり、土日は混むから行かないと決めていた所へ出掛けてみたり。

そしてその時、毎回、思っていたこと。

「仕事帰りに寄ってみたらどうなるか、やってみよう!」
「土日にどれくらい混むのか、確かめてみよう!」

というように「実験して、新しい世界を見てみたい」っていう気持ちになってたんですよね。

これまでだったら「仕事帰りに寄って嫌なことが起きたら『ほら、いつもと違うことするからやん』っていう自分の声が嫌やからやめとこう」

「混んでるってわかってるのに、なんでわざわざ行くん? 不機嫌になるだけやで」

など、常にリスクとマイナスに気持ちが傾いていました。

けれど、その気持ちの傾きが「どうなるか実験してみよう!」というワクワクに変わっていたのです…!

すごくないですか?

もちろん「ワクワクしよう!」って自分の気持ちを盛り立てたりすることは一切なく。気がついたら、考え方が変わっていて気持ちもワクワクしていたのだ。

「日本伝統式レイキを習うと、その人に必要なことが起こる」と先生がおっしゃっていましたが、その通りでした!

郵便局に気づいたのが習って3か月目。で、変化はその前から起きていましたから(今思えば)ほんとに習ってスグですよね。

「人生を変えたい、退屈な毎日をなんとかしたい」って思っていた私には、じわじわと来てました。毎日の繰り返ししかしていないにも関わらず。ちゃーんとピッタリのことを起こしてくれていたんです。

特に、あまり積極的ではなく、事なかれ主義が板についたワタクシには何たる朗報よ。

よかったなー。日本伝統式レイキを習い始めて!

私と似たようなタイプなら、あなたにもお勧めです♪

私が習っているスクールです!
NPO法人日本レイキ協会

私の受講歴|日本伝統式レイキアチューメント講座
初級:2023年 9月下旬
中級:2023年10月中旬
上級:2023年11月下旬

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