一緒には住めないと思っていた母との同居が楽しくなった理由

うれしい変化〈内面編〉

去年の夏に父が亡くなって、夫婦二人暮らしだった母の1人暮らしが始まった。

葬儀の時に、親戚その他から「アンタが一緒に住めば?」「喧嘩しながら面倒見なさい」などなど、ヤンヤヤンヤ言われたんですけど、渋ってました。

だって、嫌やもん。

いや、わかるんですよ。

わたしは未婚で一人暮らしをしていて身軽ですから。二つ隣の市に住んでいて車で30分ほど。そのアパートを畳んで実家暮らしに戻れば、話はカンタンだ。

だけどカンタンではないのだ!

第一に母は口やかましい。嫌なことをいっぱい言う。
それが嫌で家を出ているのもあるのに、今更なんで?

けど、放っておくには忍びない。なんせ80歳ですからね。

という訳で、最初は渋っていたので週に4~5回の通いで済ませていたけど、母が体調を崩して夜中に転倒! 

そのはずみで母が圧迫骨折をしてしまったので、しばらく泊まり込みで看病をすることにしました。

「できるだけ安静に」

という、医師の指示のもと、家事一切を引き受けたのはよかったけど、なんせ久しぶりの実家です。何がどこに置いてあるのかわかりゃない。

もうそれだけでイライラできる、私のキャパシティの狭さよ。

会社への通勤時間も倍以上となり、気ままな1人暮らしを送っていた我がまま娘の私は、生活リズムが一転。自由を奪われ、苦手な家事と、小うるさい母のお世話係に明け暮れる毎日になりました。

もうこれ、どんだけ不機嫌モンスターやったことでしょう。

ところが。

一変した生活様式に慣れると、意外や意外。
イライラは収まり、母が待つ実家へ帰るのが楽しみになっていたのです…!

なんで?

なんでと言われると、うーん。

思い当たるのは、この頃ちょうど。日本伝統式レイキの初級を受けたあと、中級に差し掛かり、めーっちゃ自己浄化12ポジションに励んでましたわ、そう言えば。

母との同居で、一人になる時間が圧倒的に減っていましたので、ものっそい早起きしてやってました。

そして自己分析も。あーでもない、こーでもない、ってレイキで仲良くなったS氏にLINEを送りつけて分析三昧をしていたのが功を奏したのかも。

母に対して特に何かを願ったわけではないけど、気が付いたら母は、すっかり可愛げのあるご機嫌さんなおばあちゃんになっていたのです! 

ですから、会社で可愛らしい母の笑顔を思い出すと、思わずほっこりしちゃうぐらいになっていました。どういうこと?

まぁ、強いて言うなら「自分が光となって周りを照らしなさい」的な、日本伝統式レイキ上級の教えに近づいていたってことかな。

知らんけど。

私の習っているスクールです!
NPO法人日本レイキ協会

私の受講歴:日本伝統式レイキアチューメント講座
初級:2023年 9月下旬
中級:2023年10月中旬
上級:2023年11月下旬

タイトルとURLをコピーしました